「よいしょ」を突き詰めて考えると

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「流れのどこにいる?」の続き)

きさ:

「よいしょ」っていうのは、突き詰めて考えていくと、「貨幣」っていうモノになる。
何か人に喜ばれることをしてくれる人には、
「よいしょ!」して、家を建ててあげればいい
けど、そうもいかない。
家ばっかり100個も建ててもらっても、嬉しくもなんともないやろ?
だから、何処でも何時でも等価交換できるモノとして、
「お金」っていうモノが発生して、進化してきたんやろうなぁ。
だから、本来は「気持ちの表れ」であるべきやねん。

つる:

それは、だいぶん前に話したお金の話と繋がりますね。

きさ:

そう?

つる:

意味のあるお金と、意味のないお金の話をしたことがありますよ。
お礼としてのお金と、ただの代価としてのお金・・・

きさ:

どこでどう繋がるかわからないで喋ってるからね(苦笑)

つる:

どこかで繋がる(笑)

きさ:

それは、泡銭っていう考え方もそこに入ってくるんやろうな。
そういうお金をいっぱい稼いだって、あぶくのように使っちゃうから、残らない。
問題は、その人が助けられる、生活できるエネルギーの本流にあるかどうかやろうな。

そういう意味では、100均で儲けてる人達はかわいそうやね。
かなり自分の身を削って商売してはるのと違うかなぁ。
大きな商いに育てても、自分のエネルギーとしてのアガリは小さいやろうね。

例えば、ソフト●ンクの孫さんのお金の使い方について、
ツイッターやなんかでとやかく言われてるのも、それと関係してるのと違うかなぁ?

つる:

ああ、寄付したお金について・・・

きさ:

「100億円寄付しましたって言っても、いつするんだ」って、
お前さんの知ったこっちゃないわ!って話やん。

つる:

確かに(苦笑)

きさ:

関係ない話をものすご〜く揶揄されてるやんか。
揶揄されてることに問題があるんじゃなくて、揶揄してる方に問題がある。
揶揄してる方のポジションとして、
さっき話した本流の端っこのそのまた外側にいる人達の話なんやと思うね。

「自分の稼いだお金を100億円寄付する」って他人が言うのを聞いたら、
「へぇ〜!すごいね!!」って言っておいたらいい。
放っておけばいいのに、なんで真剣に文句つけるの?
わからない。

つる

う〜ん・・・わかんないですねぇ。

きさ:

ほんっと〜〜〜にわからない。
なんで他人の財布の中身にケチつけて文句言うのか。
どこにその正当性があるのか、わからない。

つる:

1,人の金を人のものだと思っていない。
2,何でもとりあえず文句をつけたい
とかですかね。

きさ:

ほんっとうに、わからない。

つる:

(苦笑)

きさ:

「彼が売ってるiPhoneの電波がよく繋がらない」っていう文句は正しいと思うけど。

つる:

うっふっふ・・・(;´艸`)

きさ:

他人に寄付するっていうのに、何で文句つけるのかなぁ?
何か別のモノに化けると思うのかな・・・
それだけ文句つけたいんやったら、今まで税金に対して文句つけたんか?!って思う。
孫さんに文句つけるのと同じくらい熱心に文句つけてよ!って思う。

つる:

(頷)

きさ:

今までの話をまとめると、
「よいしょ」は「お礼」っていう意味での方向が強いってことが、
洞窟に絵を描く話や、鑿職人の話や、井戸を掘る話でハッキリわかった。
そのことをよ〜く考えないとアカンと思う。
まだ説明しきれてないと思う。
いろいろ今まで教えてもらったこととか、体験したこととかが、
そこに関わってくると思うけどね。
すごくいっぱいあると思うけど、まだまとまりついてないね。
もうちょっとよく考えないとアカンし、この話はまだまだ続くね。

(終)

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