きさ:
前に見た番組の話だけど、マチャアキの番組で、
日本の井戸掘り名人が現地に行って、そこで井戸を掘ろうっていう番組をやっててね。
アフリカのとある島で、浅瀬の水でみんな水汲みしてて、水がなくて困ってると。
ついでにそこには医療センターっていうか小屋があって、
そこのお医者さんは何でも来いの女医さんだけど、
お湯が沸かせないから、器具の消毒ができないのよ。
ガスコンロもないし、電気の湯沸かし器もないし、とにかくモノがない。
だから、どうやって消毒するかっていうと、普通の洗濯用のブリーチを5倍に薄めて、
一日浸けておいたら消毒の替わりになるから、その器具でお医者さんをやってはる。
つる:
うわぁ〜、大変だ・・・。
きさ:
森はいっぱいあって、燃やすモノはあるけど、
水がないから「こりゃどうにもならないわ」って。
それで、水がないだけじゃなくて、カマドもない。
だから番組では、日本の左官屋さんが現地に行って、
そこのお母さんたちにカマドの作り方を教えてた。
お母さん達は、家の中に石が3つ積んであるっていう一番原始的なカマドしかないから、
煙たくてしょうがないわけ。
熱効率も悪いし。
熱効率が悪かったら、森がなくなるやん。
つる:
結果的にそうなりますね。
きさ:
そういう悪循環に入ってるのを、どうにかならないかなぁ?って、
番組でサポートしようっていうわけ。
井戸を掘ったり、カマドの作り方を教えてあげるっていう番組。
それはいいとして、最近この手の番組が多い。
日本の技術に自信を持って、それを伝えるのは、
今自信がなくなっちゃってる日本が自信回復するのに有効だと思うけど、
そんな番組がたくさんあって、なァ〜んか引っかかることがいくつもあるねん。
そんなに「日本技術が優れてる」とか、
「日本の伝統文化がいい」って言っても仕方ないやんって、
その企画自体に辟易してきたわけ。
で、この気持はなんやろう?って考えてたんやけど・・・
まずひとつは「なんで現地の人は井戸を作らないのか?」っていうこと。
井戸なんか、有史以前からみんな掘ってるやろ?
「なんで井戸を掘らないの?」って聞いたら、「井戸掘り機がないからだ」って言う。
つる:
借りてきたらいいんじゃないんですか?
きさ:
どこから?
つる:
近くの国から?
それを借りるお金がないのかな??
きさ:
お金があって、機械もどこからか借りてきたらいいって話と違って、
井戸なんて機械がある前から、有史以前から掘ってきたんやで。
なんで掘らないの?
つる:
原始的手法をもってすれば、掘れないことはないですよね。
きさ:
そういう問題をずーーーーっと考えてる。
井戸を掘らないのはなんでだと思う?
今は機械で掘ってるわけだけど。
つる:
面倒くさいとか?
労力をかけるのが嫌だとか?
それとも、できないと思ってる??
きさ:
なんで?有史以前の人は?
つる:
有史以前の方法より楽な井戸の掘り方があるって知ってると、
「そんなことするの面倒くさい」って思っちゃうとか?
・・・う〜ん、わかんないです・・・。
きさ:
わからないやろ?
そこで気になるのは、井戸の掘り方にしろ、カマドの積み方にしろ、
「何で工夫しないのか?」ってこと。
なんでカマドは原始人がやってたような石を3つ積んだカマドのままなの?
つる:
考えてないからですか?
きさ:
違う。考える人はいたと思うよ。
でも、考えることで生活の糧にはならないから・・・
つる:
おおおおおお!!!
「よいしょ」の話で話したこと・・・!?
きさ:
そう。「よいしょ」の循環やねん。
つる:
考えてもいいことがなかったら、食べて行けなかったら、そこで終わり。
やりがいがないと終わっちゃう・・・
きさ:
まさにそう。
そこで終わってる。
日本もきっと紀元前から井戸を掘ってたやろ。
それなりの工夫した方法で井戸を掘るわけ。
順番に考えた技術を積み重ねて・・・今はモーターで掘ってるやろうけど。
で、鎖国してた時代でも、日本の技術は世界とそんなに隔たりはなかったみたい。
それはなんでかっていったら、工夫してる人がいて、
工夫した人に対してちゃんとペイする仕組みがあったんやね。
それで工夫した人達も食っていけてたわけ。
その人達は、工夫することによって、生活の糧を得ることができてたわけやな。
それが「よいしょ」やねん。
「よいしょ」が生活を支える、生活の代価になる。
それが貨幣の誕生に結びつくっていう、このあいだの話に繋がってくるわけ。
(「モラルはどこで培われる?」に続く)