(「武兎は叩いても痛くない?」の続き)
つる:
武兎や超結界って、物理的に壊れると、プログラムも壊れますよね。
きさ:
うん。人間もそうや。
物理的に壊れたら流れ出すやろ?
そうすると頭が動かないようになる。
つる:
物理的に流れ出す・・・ああ、血とか脳みそとか。
でも、頭があるからって、人間と同じように感じるかどうかは、別。
きさ:
別。
つるちゃんの場合、武兎を擬人化することと、
猫が粗相した時に「ここはしっこする場所と違うねん!」って
猫が分かるようにしっかり躾けることが出来ない問題と、
なんか同じところでもつれ込んでるみたいやね。
つる:
もつれ込んでる・・・なんとなく感じます。
なんでしょう、コレ。
きさ:
僕とは全然違うと思う。
僕なんか「擬人化する」っていう意味で言えば、
PCや機械なんか人間みたいに一個人として見えるもん。
つる:
きささんの場合は、擬人化されてても、線引きがきっちりありますよね。
私の場合、擬人化すると、その線引きがなくなっちゃう気がします。
存在としての線引きはしっかりあるんだけど、
存在の質の違いの線引きがなくなっちゃう。
きさ:
うん。それ。
でも、大体の人はそうなのと違うかな。
だから、犬を連れてそのまま神社の敷地に入っちゃう人もいる。
8割くらいの人はそう。
つる:
犬を連れて神社に入っちゃだめですか?
きさ:
「自分は犬と同じです」って、”上”に宣言しに行くようなモンやろ?
つる:
(苦笑)
きさ:
僕は面白いから「・・・ヨカッタネ」って笑って見てるけどね(苦笑)
つる:
(爆笑)
きさ:
僕はそういういけずなことも面白いと思ってるから(苦笑)
面白がってる僕を見て、また面白がる人がいるんやろうと思ってるけど(笑)
僕も、猫とか犬とかと紛れやすいから、線を引くべきやろうとは思う。
つる:
大事にするってことと、線引きをなくして同じモノとして扱うことは、
違うってことですね。
それは、動物 vs 人間でも、武兎 vs 人間でも。
人間 vs 人間でもありますよね。
違うのに同じ扱いをしちゃう・・・
Ge3用語でよく「他人の庭」って言ってるのもそうですよね。
きさ:
うん。そのへんが今の時代的に難しい問題なのと違うかな。
きさ:
一見どっちも正しそうなんやけど、根本が・・・
なんかハッキリとした筋みたいなモンが我々に染みこんでないんじゃないかな。
つる:
「どっちも正しそうなんやけど」っていうのは、
きささんの言う「線を引く」のと、
私の「線引きをなくしちゃう」っていうことですか?
きさ:
うん。どちらが正しいかは置いておいて、
「1+1=2」みたいなどちらにも通る理屈が今はないのと違うかな?
っていうことが言いたいねん。
綺麗なカナリアを塵取りで掴まえようとするおばちゃんもいるし、
ペットに酷いことを平気でする人もいるし、
引っ越しする時にペットを捨てて行くような人もいる。
それで、そういうペットを「かわいそう」って収容する人もいる。
一体、何なんやろうね?
人間に関しても、人間の子どもなのに、人間扱いされてない子どもがたくさんいる。
それって考えられないことやんか。
子どもを数年も家の中に閉じこめて、満足なご飯も食べさせず大きくさせないなんて、
僕は考えられないけど、実際日本でも海外でもそういう事例やニュースがあるやん。
つる:
ありますね。
残念ながら、たくさん。
きさ:
それと同じく「引っ越しする時にいらないからペットを捨てていく」
っていうのも、考えられないことなわけ。
でも実際、そういうことをする人がたくさんいる。
「それは考えられないことなんやで」って、
ちゃんと染みこむようにできてないんやろうなぁ。
つる:
人を育てて教育していく中で、社会構造ができてない?
きさ:
うん。
つる:
そういうのって、いつ、どんなふうに染みこんでいくものなんでしょうね?
きさ:
今までは、そこまで考える必要がなかったんやと思う。
だから今まで大した問題にならなかったんよ。
つる:
人間のことで言えば、昔は大人か子どもか以前に、
人間の中にヒエラルキーがありましたよね。
日本でいえば、士農工商穢多非人・・・
人間の中でも「人」と「人でない人」があって、そういう誰もが共有するモノサシ・・・
つまり、正しい(とされる)理屈があったから、考える必要なかったんですかね?
・・・う〜ん・・・この話とは関係ないのかな・・・。
きさ:
関係あると思うよ。
そういうヒエラルキーに基づいたモノの価値観とか判断を持ってたけど、
それが崩れてしまったんや。
そんな崩れた中でどうこうするには、誰の目にも明らかな「1+1=2」みたいな理屈が、
1本通った筋が必要なんじゃないのかな。
きさ:
モノの良し悪しに対しての理論も、今はないと言ってもいいくらいなのと違うかなぁ。
ハッキリとした理論がない。
つる:
いろんな理論はあるけど、全部に通じる理論がないんじゃないか?
っていうことですよね。
理論っていうか、原理?
いや、原則かなぁ・・・
きさ:
わからんけど、なんか忘れたモノがあるのと違うかな。
それで、後から教えられた、間違った根拠を持つ理論だった考えっていうのが、
昔から教えられ続けて持ってた考えより強いんやろうなぁ。
だから、そういう考えられないことをする人がいる。
それは許されてるわけじゃなくて、存在を許容されてるだけ。
つる:
許されてはないですよね。
きさ:
誰が許したのかっていう話になるけど、
「かみさま」っていうのがいて、それは自動的に凄く偉いものだったわけ。
それが今は通用しないんやと思う。
「かみさま」として生まれたら、それが自動的に偉いっていう、
そういう時代はもう終わっちゃったんやと思う。
つる:
きささんの仰る「かみさま」って、皇室の人達のことですか?
”上”の人達のことですか?
きさ:
”上”の人達。
”上”の人達が、敬われたり、尊敬されたり、
そういった本来の意味で「よいしょ」されるにも理論が必要だと思う。
「何で神社に行くの?」っていうのにも、理論がいるっていうことやね。
その理論を端折って、なんとなく薄らぼんやりみんなの心の中に残ってる
「拠り所」みたいなものに従って、今まで過ごしてこれたんやけど、
最近は考えられない人が増えてきた気がするな。
だから、許容できなくなってきたっていう流れになっているような気がするね。
(終)