つる:
「よいしょ」ってどういうものなのか、もう一度より深く聞きたいんですが・・・
きさ:
僕も「よいしょ」について考えてた。
「よいしょ」の本質って何やろか?って。
いいモノを作ったとして、それを「うわ!凄いわ」って喜んでもらって、
「よいしょ」してくれたら嬉しいやんか。
その「嬉しい」って何やろう?って考えてみたわけ。
結局「それで暮らせる」ってことやねん。
「仕事として成り立つか」っていうこと。
凄いことをしたら、皆が喜んでくれた。
もっとしたら、それでご飯が食べれるようになった、と。
それが更に発展したらどうなるかっていうと、貨幣になる。
だから、”上”の方でエネルギーは「円」だって、ずっと言ってるやろ?
それと結びつくみたい。
つる:
「今、貴方が持ってるエネルギー量は1500円くらい」とか
セミナーでよくきささんが表現されてる「円」。
通貨の円じゃなくて、お金の単位としての円ってことですか。
きさ:
そう。いつものように”上”の親父ギャグなんやって!
つる:
ぶはは(笑)
きさ:
だから「お金は『よいしょ』やで」ってことだと思う。
ここまで端折ってしまったら、多分みんなによく伝わらないから、
いろんなことを、いろんな例えで、ごちゃごちゃ言ってるんだと思うよ。
それと、お金について、病的なほどマイナスイメージを持ってる人がおる。
商売はアカンとか、儲けは悪いとか。
そのような人について「アカン!アカン!」って、”上”からメッセージが来るやんか。
それは「よいしょ」から外れていくよっていう警鐘なんだと思う。
つる:
(頷)
きさ:
だから、いい歌を歌ってくれはる人、いい刀を作ってくれはる人、
いい白菜作ってくれはる人・・・
そういうことをしてくれはるのが嬉しいから、
作る人が生活できるくらい、みんなで「よいしょ」してあげる。
それで裕福になるかどうかは、また別の問題やね。
大道芸の人が道端でやってて、チップを置くのは「よいしょ」なわけ。
それでエネルギーの循環が発生するから、それは一方的にあげるんじゃなくて、
チップを出してる側も貰うんやと思うな。
つる:
出してる側も貰う?
きさ:
エネルギーをね。
つる:
大道芸人さんから?
きさ:
大道芸人を含む世間からって感じかな。
「よいしょ」の、エネルギーの流れの中に入る切符みたいなモンだと思う。
そこから降りたら大問題やろ?
つる:
そうですねぇ。
きさ:
妙な・・・宗教的な意味で「商売はアカン」って言ってる人たちは、
その流れから降りてはるんやろね。
だから、その流れに乗っかるような仕方を「よいしょ」って言う。
きさ:
で、お神輿担いでる人達が「よいしょ」を、
「わっしょい!わっしょい!」ってするのも、
そのエネルギーの流れに参加できるかできないかやね。
参加したくないんやったら「よいしょ」したらアカンし、
参加する限りは、そのエネルギーの流れを阻止しないほうがいいやろうな。
つる:
流れを阻止するっていうのは?
きさ:
水を差す人。
お金の話で盛り上がってたら、そこに水差したらアカン。
それがわからない人は、その中に入るべきじゃない。
例えば水差して、ジュ!って消えたとするやん。
その盛り上がった分だけのエネルギーはどうなる?
多分、抜かれるやろうな。
つる:
うわぁ・・・
きさ:
せっかくみんながお金を出してエネルギーを貰えるっていう状況にあるのに、
水をかけちゃうんだもん。
誰がその収支をつける?っていうと、その人がつけることになるやろうな。
その大きな意味でのお金の流れっていうのが健全に流れているところで、
勝手に持って行く奴とかいろいろいるやんか。
輩(やから)みたいな奴とか。
つる:
いますね、どこにでも。
きさ:
そういう人達は、さっき話したみたいな意味で危ないやろうな。
暴利を貪ってる人達もそうだし。
要するに、人が作ったモノでないモノなんかで儲けてる人達は、
これからの世界では大変やろうね。
つる:
(頷)
きさ:
「エネルギーの流れに水を差すとどうなるのか」を考えると、わかりやすいかもしれない。
エネルギーの流れに参加したほうがいいのかどうかよくわからないっていう時は、
そっと離れておくことが無難だと思う。
わからないモンは仕方ないからね。
わからんからダメっていうことも言えないし。
なんでわからないのかはわからんけど。
岸和田のだんじりとかも、みんな一生懸命楽しんでるやんか。
そんなところに「そんなアホなことしたらアカンで」とか、
「危ないことしないでおき!」なんて言いに行ったら、
ボコボコにされてしまうやろ?(苦笑)
みんな真面目にやってるのに。
そんな話と一緒なのと違うかな?
つる:
ボコボコに・・・(苦笑)
(「流れのどこにいる?」に続く)