(「考えることが『よいしょ』」の続き)
つる:
ここまで話してきた「意識して考えておかないと」っていうのは、
とてもとても大事ですね。
きさ:
うん。
考えるっていうことを非常におろそかにしてるんじゃないかな?と思うね。
つる:
してますね。
きさ:
「物凄いことだ」っていうことを、もうちょっと理解すべきだと思うけどな。
つる:
私、Ge3の前はマッサージを生業としてましたけど、
アレクサンダーテクニークっていうのを学んだ時に、
自分で考えることとやっと真剣に向き合ったんです。
タイマッサージを2時間するよりも、
自分の持つThinkingをちょこっと変える5分間だけで、
こんなに身体に与える影響力が凄いんだということを、
日々、観察・実験・訓練したんですね。
そういう考えて実験する場、教師がそれを理解して作っている場というのが、
私たちの受ける教育システムの中には意外と少ないんじゃないかなぁって思ったんです。
きさ:
そうやね。
つる:
自主的に、例えばきささんが学生時代に
「写真の現像にはどれくらいの濃度の現像液が適しているか?」
って考えてDoingすると、どれくらいの濃度が最適かわかったわけですよね。
でも、考えずにDoingすると、結果としてよくなったことはあっても、
それが何によってよくなったのかは理解出来ないままですよね。
何が、何と、どう関わっているから、どう良くなるのかっていうのが、
Thinkingしないと・・・考えないとわからないままだと思うんです。
きさ:
そうやなぁ。
つる:
そういうのを自主的にやる人は、自主的に学べちゃいますけども(苦笑)
まだ自主的に学べない人が、どこでそれを学ぶのか?っていうと、
それは「どこにあるかなぁ」って首を傾げちゃいますね。
教える側が、余裕と、大切なことへの認識と、その両方を持ってないと・・・
きさ:
我々の教育の場っていうのかな?
教育っていうテーゼの中に、ホンマに「考える」ってことが入ってるんかなぁ?
つる:
一般的には入ってないような気がしますねぇ(苦笑)
もしかしたら、根っこの方には入ってるかも・・・
でも、枝葉に入ってないように見えます・・・
もちろん自主的に考えないと、例え教師たちがそういう場を設けたとしても、
考え方を学べないのは確かですけどね。
まずその土台があれば起こりやすいことなのに、
一番大事な土台の余裕から真っ先に削られちゃう、この社会事情・・・
そこを大事にしてる・できているところは、少ないなぁって感じます。
きさ:
うん。
だから、考え方を教えるところってないのと違うかなぁ?
つる:
何を考えるか、どう考えるかっていうThinking Lessonをやってるところは、
パッと出てくるほどにはないですね。
つる:
楽器を学ぶにしても、勉強を学ぶにしても、
「こう考えると正しい・正しくない」っていうのはできても、
「正しい・正しくないは、何故判断されるのか?」
っていうとこまで行くのはなかなか少なくて、
哲学を学ぶ人達でも、なんだか違う感じが・・・
きさ:
なんか要を得ないよね。
つる:
言葉の枝葉に学ぶ人はみんな振り回されちゃってて、
「それ以上聞くな!ピー!」ってなっちゃってる人が多いような・・・
その辺は、なんていうか、もったいないCPUの使い方なんじゃないかな。
せっかく質の良いCPUを持ってらっしゃるのに(苦笑)
きさ:
そんなの自然に考えてるだけやろ。
自然に考えたとしたら「よく考えてるね」って、それだけ。
「なんでそんなによく考えてるの?」って尋ねたら、「え?」ってなるよ。
つる:
きささんの「よく考える」っていうのは、「意識的に考える」ってこと?
それとも「自主的に考える」ってことですか?
きさ:
「自主的に、正しく、正しい方向で、考えてるか」ってこと。
つる:
その「正しく、正しい方向」っていうのは?
きさ:
「これは正しいものか?」って考えてるかってこと。
「うわっ!これはアカン考えや」って思ってるだけと違うの?
つる:
アカン考えって?
きさ:
「それを誰が決めたのか、誰が考えてるか?」っていうことやね。
つる:
ああ!他人が決めたメジャーに沿って、
「合っているか・合ってないか」を考えてるだけじゃないの?
自分のメジャーがないんじゃないの?っていうことですか。
きさ:
そう、それ。
つる:
ああ〜、わかります。
よく私もそこに陥ってしまうので・・・(苦笑)
既にある誰かのメジャーに沿って反射的にyes/noの判断をしてしまうみたいな。
それって、自分で考えてはないですよね。
自分で考えて判断しているのではなくて、反射してるだけ。
きさ:
考えることに意味を見出す人はちょっとずついると思うけど、
その考え方が正しいのか・・・
なんていうか、「この考えにはクレヨンのほうがうまく描けるよ」
とかいうテクニックに陥ってると思う。
つる:
「何が描きたいか」がないってことですか?
きさ:
「描くっていうのは一体何なのか?」っていうところが考えられてないと思う。
考え方の初歩みたいなものがあるんじゃないかなって、
僕は思ってるけど・・・わからない。
そんなこと説いてる奴、いないしね。
難しいことを考えてる奴はいるけど。
つる:
いるんじゃないですかねぇ?
要は「こねくり回さずに、シンプルに」っていうのが
たぶん初歩だと思うんですけど・・・どうでしょう?
私の思うのとは違いますかね?
きさ:
僕が言ってる「正しい・正しくない」っていうのは、
プラス方向の考えなのか、マイナス方向の考えなのかっていうのはあると思う。
指針としてね。
それが人間にとって役に立つのか、役に立たないのか、それはまた別問題よ。
つる:
きささんの言うプラス・マイナスっていうのは何ですか?
きさ:
”上”の言うプラス・マイナス。
それで、”上”の言うプラス・マイナスですら、”上”が言ってるだけやからね。
つる:
”上”と”下”とは違いますからね。
メジャーも違う。
”上”にとっては良くても、”下”に住む私達にとっては、
「そんなことしてたら食べていけないわ〜・・・」
みたいなこともあるわけですからねぇ(苦笑)
きさ:
そう!
だから「正しいって何なのかを考えてない」
っていう時象がこれから始まってくると思うけどね。
でもそんなの言ってる人はほとんどいない。
つる:
この話、面白いですねぇ。
きさ:
時象に対しての「よいしょ」は「考える」
野球選手に対しての「よいしょ」は「応援する」
だんじりの「よいしょ」は「上に乗って踊る・わっしょいする」
車にとっての「よいしょ」は「磨くこと」・・・まあ、一例に過ぎないけどね。
つる:
車を磨いたりだけじゃなくて、楽しく乗ったりも「よいしょ」?
きさ:
うん。そう。
つる:
いろいろあるんですねぇ。
(「『よいしょ』の循環を起こす」に続く)