きさ:
今日はね、フウチをする時に陥りやすい罠みたいな、そんな話をしたいねん。
フウチ始めた人に、いつでも僕は「まず自信を持って」って言う。
「自信を持て」って、しつこくいつも言ってるやろ?
つる:
はい、ほんと何回も。
きさ:
というのは、自分の感じたことをそのまま言わないとアカンし、
それを疑問にしないとアカンし。
それで「自信」を持ち始めて、最初に陥りやすいのが「過信」。
「過信」の次に「慢心」にいってしまう。
つる:
いつもその流れのこと、おっしゃってますよね。
きさ:
それで、どっかに行っちゃう。
つる:
どっかに(苦笑)
きささんの仰る「慢心」って、どういう意味ですか?
きさ:
驕り高ぶりとかのこと。
つる:
謙虚さがない?
きさ:
そう。
「過信→慢心」のほうに行く人が多いけど、もっと多いのが「盲信」。
つる:
「過信→慢心」の方向性と「盲信」の方向性は違うんですか?
きさ:
違うよ。
つる:
フウチの結果がこう出たから、こうに違いない。
って短絡的に決めちゃったりする人とかですか?
よくいますよね。
きさ:
「自分の感覚では、どっち?」ってことを置いてきぼりにしてしまう人やね。
「盲信」する前に「自信を持て!」って言ってるんだけど・・・
つる:
「おのれの目が亡い」から「盲信」・・・。
「盲信」に行っちゃう人は、自分の感覚に自信がないから?
きさ:
そう。フウチの結果を盲信しちゃう。
自信のバランスってモンが、過信にいったり、慢心にいったり、
盲信にいったりするのかなと思ってるけど。
一般的なことに当てはめて言うと、ほとんどの宗教心は「盲信」やねん。
つる:
ああ〜。納得です。
「絶対的な良い存在」が何かをしてくれる前提だったりするのが宗教ですよね。
きさ:
常々「そんな都合のいい人はいないよ」って言ってるんだけどなぁ。
向こうは向こうの都合や計画で動いてるし。
つる:
それがこっちで生きている私達にとって都合が良いかどうかは、また別の話ですよね。
きさ:
「自信」が「過信」と「慢心」と「盲信」になってて、
それらが ”心” 繋がりの正三角錐みたいな形で、
ごろごろ、ごろごろ、転がってるみたいに感じるねん。
それで、どれが正面っていうのがない。
つる:
どこかの面が「自信」じゃなくて、三角錐自体が「自信」で、
その各面に「過信・慢心・盲信」って書いてある?
きさ:
そんな感じ。
つる:
じゃあ、どこが「丁度良いところ」なんですか?
きさ:
全部の面に、均等に光が当たることやろうね。
つまり、順調に回転することやろうね。
つる:
動かない状態・・・どこかの一面にだけ光が当たってるっていうのもダメですよね。
きさ:
そう。
なんでそういうことに気がついたかっていうと、
自分でフウチして計ってる@さん・・・その人の結果が正確じゃないねん。
でも、本人は正確だと思ってる。これは「慢心」。
つる:
「これ、合ってるかなぁ?」っていうのがないんですね。
きさ:
うん。フウチで計れることには自信を持ってほしいけど・・・
つる:
フウチで計った結果に慢心しないでほしい?
きさ:
そう。「慢心」とか「過信」にエネルギーを注いでるのは「自信」だけど、
そいつらが大きくなって重くなりすぎると、今度は「自信」が揺らぐ。小さくなる。
それで、@さんは、自信がない時には他の人に確認をするけど、問題はその相手やね。
確認する相手は、どこと繋がって情報を得てる?
それを知っておくのも、正しい情報を得る為に重要なポイントだよ。
つる:
確認をお願いする相手さんが、自分の望むところと繋がってるかどうかですか。
いつでも大事ですよね。
”上”に訊く時でも、フウチで調べた情報の追試を誰かにお願いする時でも。
きさ:
自分で尋ねる時も、他人に尋ねてもらって確認する時も、
誰に繋がって尋ねてるのか。変なトコと繋がってないか。
そこのとこ、ちゃんとしておかないと。
つる:
これは興味深い・・・すっごく大事な話ですね。
きさ:
でしょ?
つる:
「慢心・過信・盲信」のあたりも、ああそれ!それよそれ!って感じで、
ばっしばし膝を打つくらいです(苦笑)
きさ:
フウチする時には、そこらへんに陥りやすいポイントがあるよ。
(「広い視点で考える」に続く)